YOKOHAMA MINAMI CHRIST CHURCH本文へジャンプ
横浜南キリスト教会 賛美のページ 

 「賛美」とは、歌や楽器の演奏、ダンス、詩の朗読など、さまざまな方法で
神様をほめたたえることです。
 

●教会では、礼拝の中でたくさんの賛美歌を歌います。それは、聖書の言葉や牧師の説教を通して私達がいただいた神様からのメッセージに対する感謝であり、新しい1週間を信仰者として歩む決意であり、皆と共に生きようという呼びかけでもあります。 

クリスマスの賛美歌
キャロリングの賛美歌の中からご紹介します。
なお、詳細は参考文献欄にある川端純四郎氏の『さんびかものがたりU』をぜひお読み下さい。

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『『讃美歌21』 264
きよしこの夜 詞:ヨゼフ・モール
曲:フランツ・グルーバー
  世界一有名なクリスマスの賛美歌。作詞者のヨゼフ・モールは、ナポレオン戦争で荒廃したザルツブルグの貧しい家庭に生まれたカトリックの聖職者でした。1818年のクリスマスイブにオルガンの風袋がネズミにかじられて音が出なくなり、あわてたオルガニストのグルーバーがモールと共に大急ぎで作り、ギター伴奏で歌った、という有名な話は「伝説」で、実際には1816年に作られた6節の詞なのだそうです。その内容は、現在歌われている牧歌的な内容だけではなく、ようやく長い戦争が終わり、平和が訪れたことを父なる神に感謝する平和の賛歌でした。それが長く民謡のように親しまれ、伝えられていく中で成立の経過も忘れられ、聖夜の静けさを歌う賛美歌になりました。カトリックの賛美歌ですが、よく歌われる「み母の胸に」という歌詞は原詞には無く、後にアメリカで付け加えられたものが翻訳されて、日本でも親しまれました。オーベルンドルフ(オーストリア)にある「きよしこの夜記念堂」には、毎年世界中からクリスマスイヴに数千人の人が集うということです・・・行ってみたいです。

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『新生讃美歌』 184
マリアより生まれたもう 詞:Mary MacDonald
曲:Traditional Gaelic melody
  イエス様の誕生を喜びながら、十字架の死と救いを静かに歌う、素敵なクリスマスの賛美歌です。この賛美歌は、メアリー・マクドナルド(1789〜1872)というスコットランドの女性が、ゲール語で作った詞を地元の伝統的なメロディーにのせて歌っていたものを、マクビーンという人が英語に訳して1888年に発表した賛美歌です。曲名は、彼女の出身地に近い村の名前から「BUNESSAN」と名付けられました。 「BUNESSAN」は、この他にも色々な詞で歌われています。 

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『讃美歌21』 263
あら野のはてに 詞:フランス・キャロル
曲:フランス・キャロル
  この賛美歌の特徴は、何と言っても後半の「ぐろ〜おおおおお〜おおおおお〜おおおおお〜りあ」でしょう。 これは、羊飼い達の前に突然現れた天使たちの歌で「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」=「神に栄光あれ」。聖書には「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と天使が言ったと書かれています。この言葉に基づいて、カトリックのミサ典礼文「グロリア」が作られました。私たちが「グロリア」と歌うとき、それは神を称えると同時に、地上の平和を祈っているのです。
 詞曲ともに18世紀のフランスのクリスマスキャロルで、19世紀に英訳されて世界的に広まりました。旋律名はフランスでは「グロリア」ですが、英米では別の歌詞がついたものもあり、この場合は「アイリス」という旋律名になっています。
なお、フランスのキャロルでは「夕日」は出てこないそうですが・・・いや、やっぱり「荒野のはて」には「夕日」でしょう!

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『讃美歌21』 269
飼いばおけにすやすやと 詞:不明
曲:ウィリアム・J・カークパトリック
  とてもかわいらしい この賛美歌は、日本のクリスチャンの家庭で子守歌代わりに使われてきたそうです。作詞者は不明ですが、世界中で愛され、特にアメリカでは40種類ものメロディーがついて歌われてきました。現在の旋律はアメリカのカークパトリックという教会音楽家が1895年に発表したものです。
 この賛美歌は1885年にアメリカのルーテル派教会の本に2節の歌として載ったのが最初で、長く宗教改革者のルターによるものとされてきましたが、後の研究でそうではないことが判明しました。その後1892年には、3節が付け加えられたものが発表されていますが、この作者も不明なのです。 民謡のように広く歌われ、受け継がれていくからこそ、賛美歌は様々に変化していくとも言えるでしょう。今の『讃美歌21』も原詞とは少し異なり、賛美歌として礼拝で歌いやすい翻訳の工夫がなされています。クリスマス礼拝で、こども達と一緒に歌うのにぴったりですね。
 

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『讃美歌21』 262
聞け、天使の歌 詞:チャールズ・ウェスレー
曲:フェリックス・メンデルスゾーン
  1954年版『讃美歌』で「あめにはさかえ」として親しまれてきた賛美歌ですが、『讃美歌21』では原詞「Hark!」に合わせて、歌い出しと節ごとの終わりを「聞け!」と改訳しています。作詞者のチャールズ・ウェスレーは、兄のジョン・ウェスレーと共に英国教会の改革運動を行い、生涯に約6500編の賛美歌を作って、プロテスタントの音楽に大きな影響を与えました。この賛美歌は1738年のクリスマスに作られた10節からなる賛美歌でしたが、世界中で歌われ、楽譜が作られていくうちに、歌詞が変化し、メソジスト派の特色が削られていきました。日本の賛美歌も3節しかありませんが、それでもいわゆるクリスマス・キャロルとは違う、聖書の言葉に基づいたチャールズの信仰が表されています。
 長く色々な曲で歌われた末に、1856年にカミングズという音楽家が、有名な作曲家メンデルスゾーンの合唱曲の中のメロディーを編曲してこの歌詞につけたものが世界的に広まりました。長い年月を経た、ベストパートナーとの出会いでした。

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『讃美歌21』 258
まきびとひつじを 詞:イギリス・キャロル
曲:イギリス・キャロル
  救い主誕生の知らせは、王様でも祭司でもなく、夜通し羊の番をして働いている貧しい羊飼いに届けられました。『さんびかものがたり』著者の川端氏はここで−連日の残業にぐったりしているサラリーマンの職場に突然天使が現れて、今日あなたのために救い主が生まれたよと告げられたら誰が信じるだろうか−と書いています。自分の職場を想像すると、すごくリアルな場面が浮かびませんか?・・・でも羊飼いたちはちゃんとそれを信じて、イエス様のもとへと出かけるのです。
 元はイギリスのキャロルで、サンディスという人が1833年に初めて楽譜として出版したそうです。「ノエル」とはラテン語の「ナタリス(誕生日)」が語源と言われ、「クリスマスの歌」「クリスマスおめでとう」の意味がありますが、「ノヴェラ(ニュース)」が語源という節もあり、それだと天使達が「ニュースだよ、ニュースだよ」と歌ったことになります。どちらも素敵ですね。

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『讃美歌21』 259
いそぎ来たれ、主にある民 詞:ジョン・F・ウェード
曲:ジョン・F・ウェード
  「神のみ子は今宵しも」(1954年版『讃美歌』111番)のタイトルで知られるこの賛美歌は、百数十の言語に訳されて世界中で歌われているクリスマスの讃美歌です。作者のウェード(1711-86)は、名誉革命後フランスに渡ったカトリックのイギリス人でしたが、しばしばイギリスに戻ってカトリックの家で賛美歌を教えていたようです。この賛美歌も最初はイギリスのカトリックの信徒達の中で、ラテン語で歌われていました。後に、ロンドンのポルトガル大使館でのクリスマス礼拝で、この賛美歌に感激した人が自分の合唱団で歌ったことから、プロテスタント教会にも伝わりましたが、爆発的に広まったのは、英国教会の聖職者オーカリーが19世紀半ばに英語に翻訳してからです。後半の「いそぎゆきておがまずや」(54年版)、「きたりておがめ」(『讃美歌21』)の繰り返しが、イエス様の元へと向かう人々の喜びを生き生きと感じさせます。

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『讃美歌21』 260
いざ歌え、いざ祝え 詞:ヨハンネス・ファルク
曲:ヨハン・ヘルダー
  作詞者ファルクはドイツ(現在のポーランド)の非常に貧しい家庭に生まれましたが、彼の才能を認めた市議会が奨学金を与えて大学の神学部で学び、詩人として世に出ました。しかしその頃ヨーロッパ全土はナポレオン戦争の戦禍に巻き込まれ、彼も伝染病で子ども4人を一度に失いました。彼は悲嘆の底で、親を亡くした孤児達の存在に気付き、彼らを養育する施設「ルターの家」を作って社会福祉活動を開始します。その子ども達のために作ったのが、この賛美歌でした。曲は、ファルクの友人である思想家のヘルダーがイタリア旅行の際に持ち帰った旋律だそうです。
 この曲は英米でも同時期に賛美歌として用いられていましたが、クリスマスではなく、礼拝の始めや終わりに歌う内容のものでした。日本でも明治時代は閉会の賛美歌として歌われていましたが、1931年版の『讃美歌』で初めて、ドイツのクリスマスの讃美歌として紹介されたということです。
 ヘルダーの思いはその後も受け継がれ、「ルターの家」は現在も同じ場所で社会福祉活動を続けているそうです。

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『讃美歌21』 261
もろびとこぞりて 詞:フィリップ・ドッドリッジ
曲:ジョージ.F.ヘンデル
  キャロリングのトップを飾るのは、皆さんご存じの「もろびとこぞりて」。作詞者のドッドリッジは、18世紀イギリスの会衆派教会牧師であり、教師であり、詩人でした。彼は毎週説教の内容に合わせて詞を作り、既成のメロディーに載せて子ども達と歌ったそうです。この詞は1735年12月28日ルカによる福音書4章18〜19節のメッセージ用でした。7節からなる原詞には、当時のイギリスで虐げられた非国教徒としての信仰を貫いたドッドリッジの思いが強く表れているようです。
 作曲者はヘンデルとされていますが、実はこの曲は「メサイア」の中からいくつかのメロディーをつなぎ合わせて後世の人が作ったものだそうです。そしてまた「実は」ですが、この曲をドッドリッジの詞と組み合わせて歌っているのは日本だけのようです。英米ではこの曲をアイザック・ウォッツという有名な賛美歌作家の詞を合わせています。(日本に賛美歌が持ち込まれ翻訳されていく段階で、他にも同じような経過をたどったものがあります。) ということで、同じ英語の歌詞でも“Hark the glad sound!”であればドッドリッジ、“Joy to the World”であればウォッツの違う賛美歌なのです。




●私たちの教会では、毎週昼食の時間に賛美歌の練習をしています。
その中からいくつかの賛美歌をご紹介しましょう。 
下から、練習した年月順に並んでいます。  

楽曲についての解説は、主に下記の文献を参考にしています。
 『讃美歌21略解』・『讃美歌略解』・『讃美歌第二編略解』 日本キリスト教団出版局  
 『バッハのコラールを歌う 名曲50選』 キリスト新聞社
 『コラールの故郷を訪ねて』 日本キリスト教団出版局
 『さんびかものがたり』T〜X 日本キリスト教団出版局
♪その他は管理人mvsicaの個人的なコメントです。


2012.4
『こどもさんびか』
 改訂版 94
ふしぎなかぜが 詞:川上 盾
曲:川上 盾
  2002年12月に改訂された新しい『こどもさんびか』から、「ペンテコステ」(聖霊降臨日)の賛美歌です。新しい『こどもさんびか』は、これまでの歌に加えて、『讃美歌21』からの歌、世界中の歌のほか、公募によって11曲の新しい歌が加えられました。これはその中のひとつです。公募に当たっては、小学校低学年の子どもにも歌え理解できるものであること、そして大人も子どもも一緒に礼拝で賛美できるものであることが条件でした。その通り、聖霊の働きについてやさしい言葉で歌われていますが、大人にとってもペンテコステの恵みが心に染みる、素敵な賛美歌だと思います。特に最初の「ふしぎな風がびゅうっとふけば」の「びゅうっと」のメロディーがとても躍動的で、歌っていてなんだかとても楽しくなります。
 この『こどもさんびか』には
「まねきのことば」「わたしたちのいのり」といった新しい試みも載っています。「大人」の皆さんも、ぜひ手にとってみてください。



2012.3
『讃美歌21』 325 キリスト・イエスは 詞:ラテン語キャロル
曲: 作曲者不明
  『讃美歌』148番「救いの主は」として親しまれてきたイースターの賛美歌ですが、『讃美歌21』で口語化されました。元々は14世紀にミサで歌われたラテン語の歌詞に、会衆が「ハレルヤ」を付けていたものが「キャロル」として親しまれ、今も別の旋律で各国に残っているそうです。
 現在私たちが歌っている旋律は、18世紀はじめのイギリスで発表された「ダビデの竪琴
」という楽譜集に掲載されたものが元になっています。この華やかな旋律は、重々しい「詩篇歌」が主流だった当時の賛美歌としては画期的なものでした。しかし下記「栄えの主イエスの」と同様、英国教会はこれを礼拝で歌うことを認めませんでした。その後のキリスト教の新しい流れの中で50年以上を経て、この賛美歌は公式に歌われるようになり、やがて私たちのもとにも伝えられたのです。逆に考えれば、50年間以上公認されなくても忘れ去られることなく歌い継がれていった、この賛美歌のパワーは計り知れないものと言えるのではないでしょうか。 そして今、私たちが古い賛美歌も新しい賛美歌も自由に賛美できるその恵みに心から感謝したいと思います。

2012.2
『讃美歌21』 297 栄えの主イエスの 詞:Issac Watts
曲: Lowell Mason
  英語賛美歌中、最も美しいと言われる「受難」の賛美歌です。作詞者のウォッツ(1674-1748)はそれまでカルヴァンによる「詩篇歌」一色だったイギリスで初めて「自由創作賛美歌」を生みだし、賛美歌の水門を開いたと言われる人です。
 彼は旧約聖書のダビデがイエス・キリストの愛を知って詩を書いたらどんな賛美が生まれるだろうと想像して作品を創ったそうです。この新しい賛美歌は、抵抗を受けながらも時間をかけて広く着実に大衆に受け容れらてゆきました。特に18世紀アメリカでの信仰覚醒運動では、聖書に立ち返り自分の信仰を見つめ直すために、ウォッツの賛美歌が大いに用いられました。その流れに乗って19世紀に日本を訪れた宣教師たちが携えて来たのもこうした賛美歌だった為、私たちの教会でも伝統的に歌われ、親しまれてきました。 『讃美歌21』では『讃美歌』142番の歌詞と一部翻訳が異なっていますが、改めて読み直すと、本当に美しい詩です。旋律はアメリカで作られたられたもので、イギリスでは違う旋律で歌われているそうです。このように、よく知っている賛美歌だからこそ、改めて歌詞をよく味わいながら、主の「受難」とそれを歌おうとしたウォッツの思いを想像しつつ賛美してみてはいかがでしょう。


2012.1 
『讃美歌21』 520 真実に清く生きたい 詞:Howard A. Walter
曲:Joseph Y. Peek
  1954年版『讃美歌』452番「♪正しく清くあらまし・・・」として中高生時代によく歌った素敵な賛美歌なのですが、大人になるにつれて、そのピュアな歌詞に何だか気恥ずかしくなり、あまり開くことがありませんでした。しかし昨年12月に出版された『さんびかものがたり』第5巻を読んで、この詩に込められた作者の願いを知り、教会の皆さんと再びこの賛美歌をじっくり分かち合いたいと思いました。
 『さんびかものがたり』によれば、この詩はウォルターが1907(明治40)年に早稲田大学で英語の教師をしていた時に書き、母に送ったものだそうです。彼はその後、アメリカの神学校で学び、インド伝道を志しましたが、健康上の理由で許されません。彼は諦めずにYMCAの主事としてインドへ渡って働きますが、35才で亡くなってしまうのです。(詳細は『さんびかものがたり』をぜひお読み下さい。) 
 「真実な人でありたい、私を信頼してくれる人たちがいるのだから。
 清い人でありたい、私を心にかけてくれる人がいるのだから」
― 原詩の直訳を読むと、賛美歌の限られた音数の歌詞からも、ウォルターの熱い願いを感じ取ることができますし、自分もまた、そうありたいと素直に思います。日本での1年間、彼はどんな日々をすごしたのでしょうか? 

2011.12 
『讃美歌21』 527 み神のみわざは 詞:Samuel Rodigast
曲:Severus Gastrius
 11月に捜真女学校で行われた内海恵子さんのオルガンコンサートの最後の曲は、有名なピアニストのリスト(1811〜86年)が作った長〜いタイトルのオルガン曲「バッハのカンタータ“泣き、嘆き、悩み、おののき”とロ短調ミサ曲“十字架につけられ”の通奏低音による変奏曲」でした。相次いで子どもを失ったリストの嘆きや悲しみ、そして怒りを爆発させた劇的な音楽の最後にかなたから聞こえてくるのが、この賛美歌「み神のみわざは」です。
 ドイツの教会音楽家
ガストリウス(1646〜82年)は重い病床にあった時に、信仰の友ロディガストからお見舞いとして送られたこの詩に慰められ、曲を付けました。彼は36年の生涯で困難の中にあってもなお神を信頼し、「神は真実なお方です」と告白し続けました。この賛美歌は信頼と慰めの賛美歌として多くの人に愛され、今も多くの賛美歌集に掲載されています。
 深い嘆きの淵にあったリストも、祈りの内にこの賛美歌に希望を見出し、作品を完成させたのでしょう。内海さんの演奏もまた、厚い信仰の表現であり、すばらしい芸術であり、賛美であると思いました。

 2011.11
『新生讃美歌』 184 マリアより生まれたもう 詞:Mary MacDonald
曲:Traditional Gaelic melody
 この素敵なクリスマスの賛美歌は、メアリー・マクドナルド(1789〜1872)というスコットランドの女性が、ゲール語で作った詞を地元の伝統的なメロディーにのせて歌っていたものを、マクビーンが英語に訳して1888年に発表した賛美歌です。曲名は、彼女の出身地に近い村の名前から「BUNESSAN」と名付けられました。
 「BUNESSAN」は、この他にも色々な詞で歌われています。 1954年版『讃美歌』444番「世のはじめさながらに」は “Morning has broken”という朝の賛美歌ですが、なぜか「青年」の歌に分類されています。詞の内容については『新生讃美歌』61を歌うとよくわかります。 『新生讃美歌』には「BUNESSAN」で もう1曲、407番に「主と共に」というバプテスマの讃美歌が載っています。「水によるバプテスマ」を重視するバプテストの教会として、大切にしたい賛美歌だと思います。

 「マリアより生まれたもう」もまた、イエス様の誕生を喜びながら、十字架の死と救いを静かに歌うすばらしい賛美歌です。南教会では今年からこの歌をキャロリングに加えました。

2011.4
『讃美歌21』 467 われらを導く 詞:William Williams
曲:John Hughes
 テレビやラジオなどから聴こえる音楽が賛美歌だと気付くととってもうれしいのは、私だけではないでしょう。
この賛美歌は2011年4月にイギリスで行われたウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式で会衆が歌った賛美歌です。教会の結婚式ですから歌われて当然ですが、知っている賛美歌が歌われたことで、イギリスの教会が急に身近に感じられました。(インターネット上では、式の動画はもちろん、プログラムや賛美歌の歌詞まで見ることができます。)
 この賛美歌は、旧約聖書の「出エジプト記」でモーセに導かれ、約束の地を目指して荒野を進むイスラエルの人々の思いを歌ったものです。作詞者のウィリアム・ウィリアムズはウェールズを代表する伝道者であり詩人で、たくさんの賛美歌を作ったそうです。この詞は以前『讃美歌第二編』22番で、別のメロディーと組み合わされて載っていましたが、今回『讃美歌21』で、「CWM RHONDA(南ウェールズのロンダ川の谷の意)」という曲と組み直されました。神への信頼を力強く生き生きと歌い、今では世界的に広く歌われているそうです。
 この曲は元々、ウェールズで私たちの教会と同じバプテスト教会のメンバーだったジョン・ヒューズがバプテスト派の合唱祭の為に作ったものだそうですから、やっぱり身近な賛美歌だったのですね。ちなみにバプテスト連盟の『新生讃美歌』にはこの曲で2つ賛美歌が載っています。 


2011.2
『新生讃美歌』73
(『讃美歌21』469)
善き力にわれ囲まれ 詞:Dietrich Bonhoeffer
曲:Sirgfried Fietz
 作詞者ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906-45)はドイツ告白教会の牧師でナチ政権を鋭く批判し、ヒットラーへの地下抵抗運動に加わって逮捕されました。処刑の前年のクリスマスに、獄中で婚約者に宛てて書かれたのがこの詞です。切迫した状況の中で、「善き力にわれ囲まれ守り慰められて・・・」と歌う彼の心の平安はどこから来たのでしょうか? 「苦い杯」も「おそれず感謝をこめて受け」、さらに「闇の中に」「主のともし火」を輝かせて「来たるべき朝を待とう」と言うのです。それは「夜も朝もいつも神はわれらと共にいます」という信仰の確信だったのではないでしょうか。
 この詞には複数の曲が付けられ、『新生讃美歌』73番と『讃美歌21』469番でも全く印象の異なる曲になっています。深い闇の中で輝く確かな光を思い、今回は明るいメロディーの『新生讃美歌』を練習してみました。ドイツの賛美歌集では「新しい年」を待つ「新年」の賛美歌とされているそうです。


2010.10頃? 
『讃美歌第二編』 201 日ごとの糧 詞:不詳
曲:不詳
 私たちの教会では毎週礼拝後、昼食を共にし、祈りと賛美の時をもっています。教会ではこれを「愛餐会」と言って、キリスト教が始まった約2000年前の昔から大切にしてきました。
 私たちが食事をいただく前に、まず歌うのがこの賛美歌。でも実は、歌詞は英語なんです。 アメリカで食前の感謝の歌としてよく歌われていたというこの賛美歌を、私たちの教会の愛餐会では最初から歌っていました。
“For health and strength and daily bread, We give Thee thanks, O Lord.”  
 あるとき、久しぶりに『讃美歌第二編』を開いていて偶然発見、何とこれは、あの「食前の歌」ではありませんか! しかも「輪唱」の指定が・・・
 そこである日の愛餐会で全体を3グループに分けて輪唱にしてみたところ、これがとっても美しく、そして力強いのです。「食前の歌」がこんなにもすばらしい「賛美歌」だったとは! そしてこの短い賛美歌をちゃんと掲載していた『讃美歌第二編』、やるじゃないか・・・ いえ、長いこと気付かないでゴメンナサイm(_ _)m


2008.12 
『讃美歌21』 290 おどり出る姿で 詞:Sydney Carter
曲:シェーカーの旋律 19世紀
 この賛美歌のキーワードは、「踊り」です。
 作詞者シドニー・カーターはイギリス人の教師で、17世紀のキャロルをヒントにこの詞を書きました。彼はその後、フレンド派(クエーカー教徒)の人々と出会い、強い影響を受けました。フレンド派の一派である「シェーカー」の旋律をアレンジした曲にその詞を付けて生まれたのが、この賛美歌です。「クエーカー」も「シェーカー」も、身体を激しく震わせて踊っているように祈るところから付いた呼び名だそうです。
 「シェーカー」の人達は、迫害から逃れ、アメリカで質素な生活をして自分たちの信仰を守っていました。彼らにとってダンスは「神様への応答」として特別な意味を持ち、集団で行うダンスはたいへん素晴らしいものだったそうです。
 この曲は、元々彼らの“シンプルギフト”というダンスの歌でしたが、賛美歌としてだけでなく、アメリカでは広く親しまれ、オリンピックや大統領の就任式にも演奏されてきました。(サミュエル・ハーバー「バレエ組曲≪アパラチアの春≫」)
 日本の教会では、礼拝は静かに座ってするもの、賛美は歌うもの、とイメージが半ば決まっていますが、旧約聖書の中にも、神に踊りを献げて賛美する様子が描かれています。この賛美歌で主イエスは、招かれた者たちをリードして共に踊っています。そう簡単に踊ることができない私達も、この賛美歌を歌うことで、その躍動感や人々の笑顔を充分に感じることができることでしょう。
*後日、2009年1月のオバマ大統領の就任式でも、この曲が演奏されました。
「あの賛美歌だ〜!」  何だかみんなとってもうれしくなりました(笑)。 


2008.2 
『讃美歌21』 313 愛するイエス 詞:Johann Heerman
曲:Johann Cruger
 教会に行ったことがなくても、合唱サークルで宗教音楽を歌ったことがある方は多いのではないでしょうか。中でもバッハの「マタイ受難曲」は毎年必ずどこかの合唱団によって歌われているようです。この賛美歌は「マタイ」の他に「ヨハネ受難曲」でも使われている有名な賛美歌なのですが、これまでの『讃美歌』には掲載されていませんでした。
 作詞者ヨハン・へールマン(1585〜1647)は30年戦争(1618〜48)の最中、苦難の時代を生きたドイツ人の牧師であり詩人でした。
この詞はアンセルムスという人の詩を基に作ったものですが、全節に渡って、愛するイエスが十字架にかけられたのは私の罪のためだという告白が歌われています。これが17世紀ドイツ最高の賛美歌作家と言われるヨハン・クリューガーの曲と組み合わせれ、切々とした嘆きの歌になりました。
 「マタイ受難曲」では、受難物語の最初の賛美歌としてこの歌が歌われることによって、「主イエスがなぜこんな裁きを受けられたのですか?」という問いが投げかけられ、その答えとして受難曲の全体が進行していくのです。
 受難節に礼拝でこの賛美歌を歌うと、400年も前のへールマンと同じ思いになって主イエスの苦難を思うことができます。このように、賛美歌は単に神様をほめたたえるだけではなく、歌う者が共に苦しみ悲しみ、救いを求め祈るための歌でもあると言えるでしょう。